菅原道真(スガハラノミチザネ)
(承和12〜延喜3)菅原是善の子。
宇多天皇の信任を得て、藤原氏の勢力を抑えるため重用され、次帝醍醐天皇の時に左大臣に昇進したが、昌泰4年1月25日、藤原時平の中傷によって太宰権師に左遷され、配所で没した。
その後、京に雷電の災厄がしばしばおこり、世人はそれを道真公の祟りとして恐れた。
朝廷も火雷天神の号を下賜され、京都・北野に社を建て手厚く崇め奉ることとした。
道真公は文筆に秀でていたので、文学・詩歌・学問の神として信仰され、鎌倉期には慈悲救済の神、諸道芸能の守護神とされ、現今では学業成就・合格祈願の神として広く崇められている。
全国の天満・天神系の神社の多くが道真公配流の日、1月25日を例祭日としているのは、公の悲嘆・憤怒を和め奉ろうとするもので、このことにも、この神の祟りをおそれる世人の気持があらわれている。