式内社 平内神社



式内社 平内神社(ヒラウチジンジャ)

  住所  兵庫県美方郡香美町香住区余部2900-2

 

主祭神  野稚神(ヌツチノカミ)

  

(本殿)一間社流造、柿葺

 

正治2年(1200)6月平教盛伊賀平内右衛門家長の霊祠を建て御霊荒神と称す。

慶長19年(1614)大阪冬の陣起り、豊臣秀頼勇士を諸国に募る。

御崎村門脇氏伊賀矢引氏其陣に加わりしも和睦によって帰国

翌年夏の陣起こり之に加わらんとして当社に占うが凶のため止める。 

寛延3年(1750)受持神主笹尾佐中支配の時、「御崎大明神」と改称。 

宝暦9年(1759)に「三宝荒神山王権現」と改称。

宝暦14年(1764)3月21日遷宮。

安政2年(1855)6月平内天王の神霊を新調し本殿再興。

嘉永元年(1848)9月山王権現を再興して正遷宮を行う。

明治6年(1873)10月村社。

 

平内神社は「但馬故事記」では、人皇15代神功皇后3年(203)なので「伊伎佐神社」よりも古く、伊伎佐神社の元宮ともいえます。


平内神社がある御崎地区平家落人伝説の残る集落です。 

壇ノ浦の合戦(1185)で敗れた平家の武将達が隠岐や対馬へ逃れようとしたがシケのために因幡や但馬へ漂着。

御崎は、平家一門のうち門脇宰相平教盛を大将とし、伊賀平内左衛門家長、その子光長、矢引六郎右衛門、小宰相局など7人が流れ着き平家再興を願いながら住み着いた土地。

現在の祭神は野椎神だが社名が示す通り、本来は当地に住みついた平家の武将平教盛と伊賀平内左衛門家長の御霊荒神を祀る神社

 

「御崎地区活性化施設」の左手から登って行くと「平内神社」「日吉神社」方面。

山椒畑に出ると右手は「平内神社」まっすぐ奥に進むと「日吉神社」方面です。

この地にしか育たないといわれる「平家蕪(へいけかぶら)」が自生しています。

平家蕪の黄色い花、さらに桜も満開で最高の季節(四月上旬)でした。

 通称名は、平内さん(へいないさん)。

 

  

百手(ももて)の儀式」  

 1月28日、境内で、門脇、伊賀、矢引の武将に扮し、境内の御神木の源氏に見立てた的めがけて、

 101本のを射る伝統行事です。