神功皇后(じんぐうこうごう)


別称 

 気長足姫尊(おきながたらしひめのみこと)

 息長帯比売命(おきながたらしひめのみこと)

 大帯比売命(おおたらしひめのみこと)

 大足姫命皇后


神功元年から神功69年まで政事を執り行なった。

夫の仲哀天皇が香椎宮にて急死(『天書紀』では熊襲の矢が当たったという)。

その後に熊襲を討伐した。

それから住吉大神の神託により、お腹に子供(のちの応神天皇)を妊娠したまま筑紫から玄界灘を渡り朝鮮半島に出兵して新羅の国を攻めた。

新羅は戦わずして降服して朝貢を誓い、高句麗・百済も朝貢を約したという。

渡海の際は、お腹に月延石や鎮懐石と呼ばれる石を当ててさらしを巻き、冷やすことによって出産を遅らせたとされる。