百手の儀式
先日平内神社に行くと・・・・御神木に・・・矢が・・・????
「平家伝説」
源平合戦の壇ノ浦の戦いで敗れた平家の武将らが落ち延び、人里離れた僻地・孤島などでひっそりと暮らしたといわれる平家伝説。
香美町香住区余部の御崎地区には、寿永4年(1185)門脇宰相平中納言教盛を大将とし、伊賀平内左衛門家長、矢引六郎右衛門ら(7人)遠く壱岐、対馬方面に逃れようと
したが漂流し香住に流れ着き御崎に落ち延びたといわれています。
そして「一の谷に門脇」「西方・平家崎に伊賀」「東方さじき屋敷に矢引」が住居を構えた。
「百手の儀式」
毎年1月28日 平内神社
儀式当日の朝、若者が矢に使う竹を取ってきて炬火で矢の形を整えます。
午後4時ごろ準備が整うと平内神社に向かいます。
門脇、伊賀、矢引の武将にふんした3人の少年が、約5メートル先の御神木に取り付けた約45センチ四方の的に向かって、101本の矢を放ちます。
射手の後ろには、矢持ちが矢筒を持って控えています。
儀式の終わりには、社の前で全員で手をつなぎ、輪を作って手打ちをします。
平家再興を夢見て受け継がれてきた伝統行事です。
「平家蕪(へいけかぶら)」
御崎にはこの地にしか育たないといわれる「平家蕪(へいけかぶら)」という蕪が自生しています。
平家が落ち延びて御崎に来ましたが、食べ物に困り神に祈ると、この地でないと育たない蕪(平家蕪)に恵まれるようになった。